経営コースの概要

 まず、経営学の説明をしなければなりません。経営学とは、文字通り、経営についての学問ですが、ここにいう「経営」の意味については、とりわけ最近、曖昧と言うよりむしろ支離滅裂な理解または誤解が横行しているからです。このような誤解は、一般の人々に見られるだけではなく、大学の研究者に、そして驚くべきことには、経営学者にさえ、見られます。

 経営という言葉は、もともと、ドイツ語のBetriebの訳語として用いられたものです。Betriebの意味については、ドイツにおいても、学者によってもその規定の仕方に若干の相違はありますが、大体のところ、企業という意味だ、と思ってよいでしょう。ドイツには、日本の経営学に相当するものとして、企業の経営学という意味をもつBetriebswirtschaftslehre(経営経済学)と呼ばれる学問がありますが、このBetriebを日本語に訳すときに、経営という言葉が使われたのです。この意味からすれば、経営学とは、企業についての学問研究であることになります。

 経営学は、いずれの国においても、産業革命後の産業資本主義の時代に成立し社会的に大きな影響力をもつことになった大企業についての研究として形成されました。それは、企業の構造や行動についての理論的研究と、その政策論的研究としての、企業の管理という意味での経営管理(Betriebsfuehrung)の研究、そしてさらに企業と社会の影響関係の研究を含みます。このような研究は、その中心的研究対象である企業、価値を生産する経済的単位ないし財務的単位としての特質だけでなく、協働しあるいは対立する複数の人間によって構成される社会的単位としての特質を持つことから、価値的、数量的研究(ドイツでは、日本でいう会計学やミクロ経済学は、このような価値的研究として理解されています)としてだけでなく、社会学的研究としても展開されています。

 さて、企業という意味を持つ経営という言葉は、とりわけ、第二次世界大戦後、日本が連合軍(アメリカ軍)に占領され社会全体がアメリカ化される中で、アメリカの管理論の輸入が著しくなるにつれて、これまでと異なる意味にも(というよりむしろ、主としてこれまでと異なる意味に)用いられることになりました。それは、managementの意味に用いられることになったのです。ここにmanagementは、上に述べたドイツ語のFuehrung、つまり管理を意味する言葉であり、したがって、専門用語を正確に使うなら、これを管理と訳すべきであって、経営と訳すべきではないのですが、歴史的事実は、そのようには推移しませんでした。このようにして、「経営」という言葉は、経営学において、企業という意味と管理という意味とを併せ持つことになってしまったのです。

 以上のような事情から、今日、経営学は、一つには、企業の研究、もう一つには、管理の研究という意味をもつことになりました。もっとも、この場合、管理の研究については、「管理」といっても、一体、何についての管理か、が問題になるわけですが、そこで研究されているものは、実際には企業の管理ですから、結局、経営学は企業の研究だということができます。

 このような経営学には、企業を中心的研究対象とするさまざまな研究が含まれます。それは、すでに述べたように、会計学、ミクロ経済学、そして社会学的研究を含みます。また、経営学は、中世以来の伝統をもち商業資本主義とともに盛んになりかつ衰えた商業学を科学化して産業資本主義に対応する学問とすることを意図して形成されたドイツの経営経済学をも取り入れていますから、商業学的研究(マーケティング論、流通論等)をも含みます。更に、経営学は、その中心的研究対象である大企業の行動の変容とともに新しい問題を取りあげざるをえません。たとえば、企業の国際的または世界的行動の問題の研究が、そうです。

 このように、経営学は実に多様な内容を含むものですが、その中核を為すものが、「経営管理総論」、「経営組織論」、「企業論」、「経営労務論」、「経営財務論」など、経営コースの核科目として提供されているわけです。その各々の講義科目において、それぞれの切り口から「企業を始めとする様々な組織が、いかなる仕組みや原理・原則に基づいて運営されるべきか」、「いかなる方針で運営された場合に、より成果をあげることができるのか」というようなことを学習することになります。